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ドラッカーと一倉定、そしてネクスト・ソサエティ その7

2011.11.09(23:15) 933

円高がネクスト・ソサエティの日本では強みになるというところまで、前回は書きました。

その理由をお話しする前に、ネクスト・ソサエティがどういったものになるのかをできるだけ考えてみましょう。

ピーター・ドラッカーが『ネクスト・ソサエティ』の中で「ネクスト・ソサエティはまだ到来していない。しかし、ネクスト・ソサエティに備えてとるべき行動については検討できる段階に来ている」と書いています。

すなわち、我々は異質の次の社会(=ネクスト・ソサエティ)に入る“ほんの手前”いる状態だということですね。

ただ、どのような社会がやってくるのかを推測はできるということになります。

私が若いころの未来社会の絵というと、「リニアモータカーが走り、家の中には様々な電気製品がコンピュータ管理され、医療も格段の進歩をしている明るい未来」でした。

ところが現実はどうでしょう?

バラ色の未来というよりは、とてもギスギスした社会が到来していると思います。

確かに医療は発達しました。テレビも綺麗な画像が映り、携帯電話も益々便利なものになっています。

しかしながら、全てのものにスピードが求められるようになり(時間短縮や効率化)、人間の処理能力が追いつかなくなりつつあるように思えます。

ネクスト・ソサエティは知識社会であり、知識社会は「競争社会」です。

知識を得た人は成果をあげ、人の上に立つことができます。ところが、知識は日進月歩に新しくなるので、油断して知識を吸収していないと、より知識を持った者に簡単に負かされていきます。

通用しない知識を持っている人は落ちこぼれて、昨日の勝者が簡単に今日の敗者になってしまう厳しい社会が知識社会です。
既に今の日本がそうですね。

また、知識社会は成功者にも代償を求めます。これはナポレオン・ヒルも書いていたことですが、成功には代償が必要です。

成功するためには、相当勉強しなければなりません。そのためには費用も時間もかかります。ハードな仕事も要求されるでしょうから、家庭や恋愛を犠牲にすることもあるでしょう。

それに、成功者にも成功した者の精神的なストレスがあります。人間とは不思議なもので、一見成功していても、それ相応の重い苦しみがあるものです。

知識社会の競争の中に入ったら、勝ってもストレス、負けてもストレスなのです。

ネクスト・ソサエティへの備えを間違えると、夢の様な明るい未来(社会)ではなく、ギスギスしたとてもつらい未来がやってくると思います。


では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?

それを次回考えてみたいと思います。


<続く>
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