他人から意見を言われたり、耳が痛いことを言われたりすると、カーっと来て、怒鳴ったり、怒りをあらわにしたりすることはありませんか?
かくいう私も、若い頃はそうした面がありました。ww
でも、最近はそういうことはなくなりましたね。
そうした話を高校時代の友人と話すと、「古賀、この歳(50代)になっても丸くなってない方がおかしいぞ。」と言ってました(笑)。
確かにそうなのですが(笑)、年齢が高くなっても、すぐに怒る人は結構いるとは思います。
私の場合、20代の頃までは、かなり怒りっぽかったんですけど、30年ほどかけて怒りっぽい欠点を修正していったんです。
仏教の「心の三毒」の一つに、瞋(じん)というのがあり、これは利己心でカーッと怒ることを戒める教えです。
今でも人を叱ることはあります。
しかし、たとえ腹に据えかねることがあっても、見境がなく怒るということはしないように心がけてきました。怒りをそのまま相手にぶつけるのではなく、普通に話をするように心がけています。
自分がやってみて思うのですが、こうした心の修養というのは時間がかかります。
やはりある程度、「自分が変ったなぁ」と思えるようになるには、最低15年はかかるのではないでしょうか。まぁ、20年はかかるでしょう。
誰であっても直すべき欠点はあると思うんですね。
人間は放っておいても立派にはなりません。
自らのマイナスの部分、修正すべき心のクセは、年月をかけて地道に正していった方が良いでしょう。
他人から注意されることは天の声だと思って、改めていったほうがいいですね。
かくいう私も、若い頃はそうした面がありました。ww
でも、最近はそういうことはなくなりましたね。
そうした話を高校時代の友人と話すと、「古賀、この歳(50代)になっても丸くなってない方がおかしいぞ。」と言ってました(笑)。
確かにそうなのですが(笑)、年齢が高くなっても、すぐに怒る人は結構いるとは思います。
私の場合、20代の頃までは、かなり怒りっぽかったんですけど、30年ほどかけて怒りっぽい欠点を修正していったんです。
仏教の「心の三毒」の一つに、瞋(じん)というのがあり、これは利己心でカーッと怒ることを戒める教えです。
今でも人を叱ることはあります。
しかし、たとえ腹に据えかねることがあっても、見境がなく怒るということはしないように心がけてきました。怒りをそのまま相手にぶつけるのではなく、普通に話をするように心がけています。
自分がやってみて思うのですが、こうした心の修養というのは時間がかかります。
やはりある程度、「自分が変ったなぁ」と思えるようになるには、最低15年はかかるのではないでしょうか。まぁ、20年はかかるでしょう。
誰であっても直すべき欠点はあると思うんですね。
人間は放っておいても立派にはなりません。
自らのマイナスの部分、修正すべき心のクセは、年月をかけて地道に正していった方が良いでしょう。
他人から注意されることは天の声だと思って、改めていったほうがいいですね。