昨日のブログでは、「日本とはどういう国であるのか、日本精神とはどういうものか」を言葉によって学ぶことがなくなり、日本人が自国のことを説明できなくなっていることを書きました。
では、日本人が日本を意識するときは、現代ではどのような場合でしょう?
それは、オリンピックやサッカーワールドカップのような国際試合が行われたときではないでしょうか。日の丸を背負って戦っている人を見て、言葉ではなく日本精神というものを感覚で感じている人が多いのではないかと推測しています。
学校では日本的なものを否定的に教えられています。
しかし、サッカーやオリンピックなどの国際試合で日本人ということを自然に思い出しているのですよね。
あるいは、大きな災害があったときかもしれません。災害があったときに助け合う姿勢だとか、整然と順番を待つ姿だとか、暴動が起きないことだとかから、日本精神を感じ取る人も多いと思います。
私は日本精神を最も簡潔に表しているのは、聖徳太子の十七条憲法だと思っています。
または、新渡戸稲造さんの『武士道』もそうでしょうね。
それから物語的にはなりますが、古事記、日本書紀ですね。
そして、世界で唯一の「万世一系の王朝」です。
こうしたことを書くと右寄りだとか思う人もいるでしょうけど(笑)、日本精神や日本の国柄を簡潔に表した言葉や文章は必要ですし、それらを日本人は学ばなければいけないでしょう。
日本は、東にある”ただの場所”ではないのですから。
では、日本人が日本を意識するときは、現代ではどのような場合でしょう?
それは、オリンピックやサッカーワールドカップのような国際試合が行われたときではないでしょうか。日の丸を背負って戦っている人を見て、言葉ではなく日本精神というものを感覚で感じている人が多いのではないかと推測しています。
学校では日本的なものを否定的に教えられています。
しかし、サッカーやオリンピックなどの国際試合で日本人ということを自然に思い出しているのですよね。
あるいは、大きな災害があったときかもしれません。災害があったときに助け合う姿勢だとか、整然と順番を待つ姿だとか、暴動が起きないことだとかから、日本精神を感じ取る人も多いと思います。
私は日本精神を最も簡潔に表しているのは、聖徳太子の十七条憲法だと思っています。
または、新渡戸稲造さんの『武士道』もそうでしょうね。
それから物語的にはなりますが、古事記、日本書紀ですね。
そして、世界で唯一の「万世一系の王朝」です。
こうしたことを書くと右寄りだとか思う人もいるでしょうけど(笑)、日本精神や日本の国柄を簡潔に表した言葉や文章は必要ですし、それらを日本人は学ばなければいけないでしょう。
日本は、東にある”ただの場所”ではないのですから。