現在の日本には、「政府による救済」のようなことを信じている、あるいは期待している人がたくさんいるのではないでしょうか。
中世のヨーロッパでは、「信仰による救済」を人々は信じていました。しかし、17世紀の半ばには、その力を失います。
「信仰による救済」に代わって出てきた考え方は、18世紀中頃に出現した「社会による救済」でした。「社会による救済」は、ルソーの思想から出たものです。それは、ヘーゲルやマルクスまで続きます。
この「社会による救済」は、世界的にはソ連が崩壊したときに終わり、日本ではバブルが崩壊したときに終わったのでしょう。
日本では「失われた20年」となり、人々はこの世の救いを失い、希望を無くした感がありました。
ところが、安倍政権ができ、政府がやっていることは、新たな救済、「政府による救済」です。トランプ大統領も手段は違えど同じようなことをやっています。
私は、「政府による救済」を全く意味がないとは言いません。しかし、その効果は低いものでしょう。
これからは、個人に光を当てなければなりません。個人が気概を持ち、道を切り拓いていく時代です。個人の努力をもう一度見直す時だと考えます。
また私は、各人が「人間の尊さ」についてもっと探究するべきではないでしょうか。「人間の使命とは何か」をもっと考えるべきだと思うのです。
ミッション(使命)は、組織だけのものではありません。
個々人にもミッションがあります。
自分が生まれてきて果たすべき役割に気づけば、時間の使い方が変わります。
人間の可能性を縮めてはいけません。
中世のヨーロッパでは、「信仰による救済」を人々は信じていました。しかし、17世紀の半ばには、その力を失います。
「信仰による救済」に代わって出てきた考え方は、18世紀中頃に出現した「社会による救済」でした。「社会による救済」は、ルソーの思想から出たものです。それは、ヘーゲルやマルクスまで続きます。
この「社会による救済」は、世界的にはソ連が崩壊したときに終わり、日本ではバブルが崩壊したときに終わったのでしょう。
日本では「失われた20年」となり、人々はこの世の救いを失い、希望を無くした感がありました。
ところが、安倍政権ができ、政府がやっていることは、新たな救済、「政府による救済」です。トランプ大統領も手段は違えど同じようなことをやっています。
私は、「政府による救済」を全く意味がないとは言いません。しかし、その効果は低いものでしょう。
これからは、個人に光を当てなければなりません。個人が気概を持ち、道を切り拓いていく時代です。個人の努力をもう一度見直す時だと考えます。
また私は、各人が「人間の尊さ」についてもっと探究するべきではないでしょうか。「人間の使命とは何か」をもっと考えるべきだと思うのです。
ミッション(使命)は、組織だけのものではありません。
個々人にもミッションがあります。
自分が生まれてきて果たすべき役割に気づけば、時間の使い方が変わります。
人間の可能性を縮めてはいけません。