人生は、経験しておくべきことが設定してあるようです(笑)。
私は最近、つくづく思いました。大学教授の道に進めば良かったなぁと(笑)。
大学教授といっても大学院で勉強した英語学ではなく、経営学なんですけどね。私が受験するころには経営学部はありませんでした(笑)。文系といえば、文学、経済、法律の時代ですから、経営学を勉強するなんて、全く発想にはありませんでした。
そんなことを友人に話しましたら、友人が「それで良かったんと違います?」と言うんですね。
「え、なんで?」と聞きますと、「独立して経験したことや、サラリーマン時代の経験が智慧(ちえ)になっているでしょう?」と言うんです。
確かに、もし私が経営学部の大学院に行って、大学教授になっていたら、事業会社でのサラリーマンの経験もないし、経営コンサルタントとして独立した経験もないので、知識で人に教えるだけだったかもと気づいたんです。
友人の言葉が私にとっての一転語になりました。
知識は大切なものです。たくさん学ばなければならないものです。
でも、知識は智慧にまでもって行かないと、人を活かすことができないし、本当の実践で使えないと思うんですね。
表面に現れている問題だけではなく、人や組織の内面まで見て、適切に、かつ優しさをもってアドバイスをするには、智慧が必要です。
そして、智慧は、知識を吸収して、それを実践の中で苦しみながら経験することによって生まれるものなんですよね。
だから、人生の途上で起きる苦しみは、決して無駄にはならないのですよ!
苦難を経験したものだけが得られる智慧があるんです。
苦難、困難を耐え抜けば、「なんか変わったなぁ」と思える自分がきっといるでしょう。
そんな経験が、あなたの智慧や優しさになっていますよ。
私は最近、つくづく思いました。大学教授の道に進めば良かったなぁと(笑)。
大学教授といっても大学院で勉強した英語学ではなく、経営学なんですけどね。私が受験するころには経営学部はありませんでした(笑)。文系といえば、文学、経済、法律の時代ですから、経営学を勉強するなんて、全く発想にはありませんでした。
そんなことを友人に話しましたら、友人が「それで良かったんと違います?」と言うんですね。
「え、なんで?」と聞きますと、「独立して経験したことや、サラリーマン時代の経験が智慧(ちえ)になっているでしょう?」と言うんです。
確かに、もし私が経営学部の大学院に行って、大学教授になっていたら、事業会社でのサラリーマンの経験もないし、経営コンサルタントとして独立した経験もないので、知識で人に教えるだけだったかもと気づいたんです。
友人の言葉が私にとっての一転語になりました。
知識は大切なものです。たくさん学ばなければならないものです。
でも、知識は智慧にまでもって行かないと、人を活かすことができないし、本当の実践で使えないと思うんですね。
表面に現れている問題だけではなく、人や組織の内面まで見て、適切に、かつ優しさをもってアドバイスをするには、智慧が必要です。
そして、智慧は、知識を吸収して、それを実践の中で苦しみながら経験することによって生まれるものなんですよね。
だから、人生の途上で起きる苦しみは、決して無駄にはならないのですよ!
苦難を経験したものだけが得られる智慧があるんです。
苦難、困難を耐え抜けば、「なんか変わったなぁ」と思える自分がきっといるでしょう。
そんな経験が、あなたの智慧や優しさになっていますよ。