昨夜、上智大学名誉教授、渡部昇一先生の著書を読んでいました。
その中の1節に、「無欲であることは、素晴らしいことなのか?」というのがありました。
一部引用します。
「お金なんてなくても・・・・」と同じくらいよく耳にするのが、「別に何も名を残さないで死んでもいい」というような言い分だ。
<中略>
まったく自分の将来に関して「無欲」であっていいものだろうか。
私はそうは思わない。結果はどうあれ、「君子たるもの、世に名が聞えるようになりたい」という志はなくてはならないと思うのだ。
この志もないまま「自分は無名で終わってもいいのだ」などと言うのは、単なる無気力に、「欲がない」という衣を着せているだけのように見える。何にも挑戦できない自分の臆病さを、本気で頑張ることをバカにすることで、ごまかそうとしているのだ。
<中略>
「世に名が聞えるようになりたい」というのは、健全な念願である。大志を抱いてこそ、人は成長し、失敗しながらも自分の道を見つけていくものだからだ。
全部を引用できませんが、ここで渡部昇一先生がおっしゃりたかったことは、自分の人生に対して志を抱くことの大切さです。
私もこうした志を忘れかけていました。
独立して8年半、仕事をして、勉強をして、ブログを書いて、論文や文章を書いているんですけど、「まぁ、そこそこ頑張っているかな」という気持ちになると、「普通に人様のお役に立てて、家族が生活できればいいかな。それも人生かな。」みたいな感覚に段々なってくるんですよね。
今の自分に安住(あんじゅう)してしまう感じです。
たぶん、50歳を超えた人なら、この感覚がよくお分かりだと思います。
しかしながら、私は渡部昇一先生のこの本を読んで、「これではいけない!」と思ったんです。やはり、自分が持った大志は忘れてはいけないし、「こんなもんかな。」みたいなことになっては、アカン!と思ったんです。
時折、自分を奮い立たせてくれる本を読むことは大事ですね。
自分が帰るべきところを教えてくれる書物があることは、とても大切だと思います。
その中の1節に、「無欲であることは、素晴らしいことなのか?」というのがありました。
一部引用します。
「お金なんてなくても・・・・」と同じくらいよく耳にするのが、「別に何も名を残さないで死んでもいい」というような言い分だ。
<中略>
まったく自分の将来に関して「無欲」であっていいものだろうか。
私はそうは思わない。結果はどうあれ、「君子たるもの、世に名が聞えるようになりたい」という志はなくてはならないと思うのだ。
この志もないまま「自分は無名で終わってもいいのだ」などと言うのは、単なる無気力に、「欲がない」という衣を着せているだけのように見える。何にも挑戦できない自分の臆病さを、本気で頑張ることをバカにすることで、ごまかそうとしているのだ。
<中略>
「世に名が聞えるようになりたい」というのは、健全な念願である。大志を抱いてこそ、人は成長し、失敗しながらも自分の道を見つけていくものだからだ。
全部を引用できませんが、ここで渡部昇一先生がおっしゃりたかったことは、自分の人生に対して志を抱くことの大切さです。
私もこうした志を忘れかけていました。
独立して8年半、仕事をして、勉強をして、ブログを書いて、論文や文章を書いているんですけど、「まぁ、そこそこ頑張っているかな」という気持ちになると、「普通に人様のお役に立てて、家族が生活できればいいかな。それも人生かな。」みたいな感覚に段々なってくるんですよね。
今の自分に安住(あんじゅう)してしまう感じです。
たぶん、50歳を超えた人なら、この感覚がよくお分かりだと思います。
しかしながら、私は渡部昇一先生のこの本を読んで、「これではいけない!」と思ったんです。やはり、自分が持った大志は忘れてはいけないし、「こんなもんかな。」みたいなことになっては、アカン!と思ったんです。
時折、自分を奮い立たせてくれる本を読むことは大事ですね。
自分が帰るべきところを教えてくれる書物があることは、とても大切だと思います。