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民主主義における政治の責任は、国民にある

2017.07.30(21:47) 1844

最近の政治家の話題は、国民に「政治不信」を植え付けるような内容が多いですね。

私は、ここで真偽のほどは問題にしていません。

事実かどうかを別にして、マスコミの報道は、「国民が政治に期待するだけ馬鹿らしい。とんでもない人たちが政治をしているのだ。」という気持ちを植え付けているように思います。

結局、マスコミは、ネガティブな政治報道を流し続けることによって、「国民が政治についてきちんと考えるないようにしている」のでしょう。

国民がきちんと考えないで選挙に臨むとどうなるかというと、印象だけで投票するようになり、それだけマスコミが選挙を誘導しやすくなるということですね。


まぁ、いろいろな政治家がいますが、『銀河英雄伝説』(田中芳樹著)のヤン・ウェンリーが言っているように、そういう政治家を選んだのは国民なのです。

ヤン・ウェンリーは、「人民を害する権利は、人民にしかない。専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきる。」と言っています。

民主主義における政治の責任は国民にあり、国民以外の誰のせいにもできないものなのです。そういう人を選んだ責任は、国民にあるということですね。


ただし、選挙で難しいことは、立候補者の政治能力を図る方法が過去の実績しかないことと、影で何をやっているかまでは分からないことなんですね。

また、清廉潔白な人だからといって、政治の世界で成果を挙げられるかどうかは別ですし(悪い人が政治の成果を挙げられるという意味ではありません)。

だから、選挙は賭けのような面があります。

賭けのようなものですけど、賭けというには、国民の生命と財産を左右する重大な決断でもあるんですね。

民主主義は、最善の制度とは思えません。もちろん、完全な制度でもありません。

でも、人類は、それより良い制度を持ち合わせてもいないのです。

テレビや週刊誌で叩かれている政治家は、国民が選んだ政治家であり、その責任は国民にあることを忘れてはいけないでしょう。



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