貪、慢、癡(とん、まん、ち)の三つを経営トップの心の問題として挙げたが、もう一つある。
それは「怒り」である。
最近、パワハラが社会問題になっている。このパワハラの元になっているのが「怒り」である。自分自身が分からなくなるくらい怒る経営トップがいる。些細なことや誤解で怒り頂点に達し、社員を追い詰める経営トップは結構いるだろう。
自分の怒りの感情をコントロールできず、感情のままに振り回されて失敗してしまう経営トップの心は問題である。これを仏教用語の瞋恚(しんに)の瞋(じん)と分類する。
さて、経営トップの心の問題を、重点的なものから「執着、慢心、愚かさ、怒り」の順に四点を選んだ。そして、それぞれ仏教的に、「貪、慢、癡、瞋」に分類した。
ちなみに、仏教思想では六大煩悩として「貪・瞋・癡・慢・疑・悪見」(とん・じん・ち・まん・ぎ・あっけん)という分類があり、その中から4つを対比させた。残った「疑・悪見」も経営トップの問題としては存在する。しかし、修行者ではない経営トップが覚え易く、かつ実践し易いように、あえて四つに絞り込んでいる。
煩悩の根源として仏教では、貪、瞋、癡(とん、じん、ち)を三毒(さんどく)というが、仏教的経営成功法では、経営トップの心の間違いを重要なものから並べ替え、順序を「執着、慢心、愚かさ、怒り」とし、それぞれ「貪・慢・癡・瞋」(とん・まん・ち・じん)とした。そうして、これらを「経営トップの心の四毒(しどく)」とした。
この経営トップの心の四毒が八正道の正思惟を行うときのフレームワークである。
この心の四毒のフレームワークを使い、四毒の思いが出てきていないかを反省するのである。
たとえば、一定の瞑想する時間を取り、自分は「分を過ぎた欲」を出していないだろうか(貪)、自惚れて慢心していないだろうか(慢)、常に学習を怠らなかったか(癡)、すぐにカーッとなって怒ったりしなかったか(瞋)のように、一つ一つを順番に反省してみる。
あるいは、普段の仕事や生活の中で、「貪・慢・癡・瞋」の四毒の思いが出たら、その都度反省して改めるようにするのである。
<続く>
※ この論考の著作権は、古賀光昭にあります。無断転載、使用を禁じます。
それは「怒り」である。
最近、パワハラが社会問題になっている。このパワハラの元になっているのが「怒り」である。自分自身が分からなくなるくらい怒る経営トップがいる。些細なことや誤解で怒り頂点に達し、社員を追い詰める経営トップは結構いるだろう。
自分の怒りの感情をコントロールできず、感情のままに振り回されて失敗してしまう経営トップの心は問題である。これを仏教用語の瞋恚(しんに)の瞋(じん)と分類する。
さて、経営トップの心の問題を、重点的なものから「執着、慢心、愚かさ、怒り」の順に四点を選んだ。そして、それぞれ仏教的に、「貪、慢、癡、瞋」に分類した。
ちなみに、仏教思想では六大煩悩として「貪・瞋・癡・慢・疑・悪見」(とん・じん・ち・まん・ぎ・あっけん)という分類があり、その中から4つを対比させた。残った「疑・悪見」も経営トップの問題としては存在する。しかし、修行者ではない経営トップが覚え易く、かつ実践し易いように、あえて四つに絞り込んでいる。
煩悩の根源として仏教では、貪、瞋、癡(とん、じん、ち)を三毒(さんどく)というが、仏教的経営成功法では、経営トップの心の間違いを重要なものから並べ替え、順序を「執着、慢心、愚かさ、怒り」とし、それぞれ「貪・慢・癡・瞋」(とん・まん・ち・じん)とした。そうして、これらを「経営トップの心の四毒(しどく)」とした。
この経営トップの心の四毒が八正道の正思惟を行うときのフレームワークである。
この心の四毒のフレームワークを使い、四毒の思いが出てきていないかを反省するのである。
たとえば、一定の瞑想する時間を取り、自分は「分を過ぎた欲」を出していないだろうか(貪)、自惚れて慢心していないだろうか(慢)、常に学習を怠らなかったか(癡)、すぐにカーッとなって怒ったりしなかったか(瞋)のように、一つ一つを順番に反省してみる。
あるいは、普段の仕事や生活の中で、「貪・慢・癡・瞋」の四毒の思いが出たら、その都度反省して改めるようにするのである。
<続く>
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