このブログでは亡くなった父のことは何度か書きましたけど、今だ健在な母のことは書くことがありませんでした。
そこで、今回は今も元気な母のことについて触れてみたいと思います。
(母は大阪で兄家族と同居しています)
まず、母は料理が得意でした。
親戚の家や、我が家を知っている人の家で食事をご馳走になるといつも言われていたことがあります。
それは、「あんたのとこのお母さんみたいに上手じゃないけどね」というセリフです。
小学校、中学校の頃に、そういう言葉を聞いてもピンときてなかったのですけど、今思えば、主婦をしている方々からみても、母の料理は美味しかったのでしょう。必ず、そう言われていました。
中学生のときに母はマドレーヌというケーキを焼いてくれましたけど、友達にあげたら「買ったものやろ」と、家で作ったことを信じてくれませんでしたね。和食でも洋食でもお菓子でも、何でも美味しかったですね(^^)
また、料理の並びを完璧に出すのは当たり前のようで、結構難しいものですよね。
ご飯やおかず、箸だけではなく、水なり、お茶なりを全員に綺麗に並べて全部出していました。
イメージとしては、旅館の晩御飯みたいなものでしょうか。
それと、母が偉いな~と思うのは、いつも最後に食べていたことです。
例えば、鍋料理だったら、食材を入れるのに徹して、家族がだいたい食べ終わったころに食べ始めていました。
焼きそばや、冷やしそうめんでも、どんどん作っていって、みんなが食べ終わってから食べていましたね。
また、うちは4人家族でしたけど、誰かが食べている間は、そのテーブルから離れなかったです。
仮に自分が食べ終わったら、テーブルから離れてテレビでも見に行ったり、ゆったりとしたりしてもいいと思うんですけど、必ず一緒にいて、おかわりのご飯をよそいだり、お茶を入れたりしてました。
あるいは、遅くに帰ってきて、一人で食べるようなシチュエーションがあると思うんですけど、そういう時にも一緒にテーブルに座って食べるのを見てくれていました。
昔のお母さんって、どこも、そうなんですかね。我が家ではこれが普通でした。
我が家では普通のことだったんですけど、とても有難く、宝のような思い出です。
<続く>
そこで、今回は今も元気な母のことについて触れてみたいと思います。
(母は大阪で兄家族と同居しています)
まず、母は料理が得意でした。
親戚の家や、我が家を知っている人の家で食事をご馳走になるといつも言われていたことがあります。
それは、「あんたのとこのお母さんみたいに上手じゃないけどね」というセリフです。
小学校、中学校の頃に、そういう言葉を聞いてもピンときてなかったのですけど、今思えば、主婦をしている方々からみても、母の料理は美味しかったのでしょう。必ず、そう言われていました。
中学生のときに母はマドレーヌというケーキを焼いてくれましたけど、友達にあげたら「買ったものやろ」と、家で作ったことを信じてくれませんでしたね。和食でも洋食でもお菓子でも、何でも美味しかったですね(^^)
また、料理の並びを完璧に出すのは当たり前のようで、結構難しいものですよね。
ご飯やおかず、箸だけではなく、水なり、お茶なりを全員に綺麗に並べて全部出していました。
イメージとしては、旅館の晩御飯みたいなものでしょうか。
それと、母が偉いな~と思うのは、いつも最後に食べていたことです。
例えば、鍋料理だったら、食材を入れるのに徹して、家族がだいたい食べ終わったころに食べ始めていました。
焼きそばや、冷やしそうめんでも、どんどん作っていって、みんなが食べ終わってから食べていましたね。
また、うちは4人家族でしたけど、誰かが食べている間は、そのテーブルから離れなかったです。
仮に自分が食べ終わったら、テーブルから離れてテレビでも見に行ったり、ゆったりとしたりしてもいいと思うんですけど、必ず一緒にいて、おかわりのご飯をよそいだり、お茶を入れたりしてました。
あるいは、遅くに帰ってきて、一人で食べるようなシチュエーションがあると思うんですけど、そういう時にも一緒にテーブルに座って食べるのを見てくれていました。
昔のお母さんって、どこも、そうなんですかね。我が家ではこれが普通でした。
我が家では普通のことだったんですけど、とても有難く、宝のような思い出です。
<続く>