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今も元気な母の思い出 1

2015.11.22(17:10) 1544

このブログでは亡くなった父のことは何度か書きましたけど、今だ健在な母のことは書くことがありませんでした。

そこで、今回は今も元気な母のことについて触れてみたいと思います。
(母は大阪で兄家族と同居しています)


まず、母は料理が得意でした。

親戚の家や、我が家を知っている人の家で食事をご馳走になるといつも言われていたことがあります。

それは、「あんたのとこのお母さんみたいに上手じゃないけどね」というセリフです。

小学校、中学校の頃に、そういう言葉を聞いてもピンときてなかったのですけど、今思えば、主婦をしている方々からみても、母の料理は美味しかったのでしょう。必ず、そう言われていました。

中学生のときに母はマドレーヌというケーキを焼いてくれましたけど、友達にあげたら「買ったものやろ」と、家で作ったことを信じてくれませんでしたね。和食でも洋食でもお菓子でも、何でも美味しかったですね(^^)


また、料理の並びを完璧に出すのは当たり前のようで、結構難しいものですよね。

ご飯やおかず、箸だけではなく、水なり、お茶なりを全員に綺麗に並べて全部出していました。

イメージとしては、旅館の晩御飯みたいなものでしょうか。


それと、母が偉いな~と思うのは、いつも最後に食べていたことです。

例えば、鍋料理だったら、食材を入れるのに徹して、家族がだいたい食べ終わったころに食べ始めていました。

焼きそばや、冷やしそうめんでも、どんどん作っていって、みんなが食べ終わってから食べていましたね。


また、うちは4人家族でしたけど、誰かが食べている間は、そのテーブルから離れなかったです。

仮に自分が食べ終わったら、テーブルから離れてテレビでも見に行ったり、ゆったりとしたりしてもいいと思うんですけど、必ず一緒にいて、おかわりのご飯をよそいだり、お茶を入れたりしてました。

あるいは、遅くに帰ってきて、一人で食べるようなシチュエーションがあると思うんですけど、そういう時にも一緒にテーブルに座って食べるのを見てくれていました。

昔のお母さんって、どこも、そうなんですかね。我が家ではこれが普通でした。

我が家では普通のことだったんですけど、とても有難く、宝のような思い出です。

<続く>

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コメント
元食堂のおばちゃんさんのお母様のお話、感動しました!

> 小学校高学年になる頃まで、母親は眠らないものだ、って思ってました。
> 実際に母が横になっているところを見たことが有りませんでした。
> 誰よりも早く起きて、最後に寝る。

そうなんですよね、同じです。
いつ寝てたんだろうって、思います。
だけど、「しんどい」って言葉も聞いたことがなかったですね。
おばちゃんさんのお母様もそうだったんじゃないですかね。



> 食べる物も、自分の好き嫌いとは関係なく料理をしていました。
>  友人の中には、親が嫌いなものは食べたことが無い、と言う人が居ます。
> 母の好き嫌いを押し付けられることなく何でも挑戦させてもらえてありがたいなぁっって思いました。

そうなんですね、これも当たり前のようで、なかなかできないことですよね。素晴らしいです。


> うちには、父方のおじいちゃんも同居でして、この二人は晩酌用に、特別に大人メニュー酒の肴まで出してもらえていました。 貧乏ながらも季節感があり、皆の体調や節句など、様々なことを考えて献立を考えて作る。
> 自分がその順番になった時に、なんと辛い役目か、と、思い知りました。
> 「今日の晩御飯なーに?」と、聞かれると、はり倒してやろうか?と思うほど、毎日の献立は大変ですね。

そうですね。私も自営業をやるようになって、家内の買い物に付き合う機会を増やしましたけど、献立って、ほんま大変です。家内もその日に安いものを上手に組み合わせて料理していて、感謝してます(^^)


> それを、文句も言わず、何年も、何十年も。しかも、メニューや味について不満は言われるとこはあっても、「いつも美味しいご飯をありがとう」って言うてもらったことは少なかったのだろうなぁと思います。

ほんまですね、私も今だから言えますが、昔は「美味しいご飯をありがとう」って言ってませんでした。反省です。

>  
> お宅の台所にも、みずやに食器が満杯なんでしょうね。うちは、お正月に集合する父方の家族全員分、それぞれの食器が14枚ずつありました。食器棚が狭い家に3台。床が抜けるほどの食器の数でした。
> 先日も、食器の処分を母と二人で2か月かかりで楽しみました。
> 結局、処分したのか思い出話に明け暮れたのか、わからんかったです。
> 宝石のような思い出ですね。本当に。

ほんまですね、宝石ですね。

> この、我が家の当たり前、に、気づけて良かったと思ってます。
> 当たり前って言うのは、こんなにかけがえのないことなんですよね。幸せです。
> 興奮して話がどんどんずれそうなので、この辺で。

いつもありがとうございます。お母様のお話、感動しました。ありがとうございます。
【2015/11/22 21:28】 | 古賀光昭 #- | [edit]
私の母もおかげさまで健在です。
ずいぶん体は弱くなり歩行器の助けでやっと歩ける状態ですが、それでも、気持ちは前向きです。
家族が元気で過ごせるように自分を削って生きて来た母の姿、うちも、同じです。
小学校高学年になる頃まで、母親は眠らないものだ、って思ってました。
実際に母が横になっているところを見たことが有りませんでした。
誰よりも早く起きて、最後に寝る。
食べる物も、自分の好き嫌いとは関係なく料理をしていました。
 友人の中には、親が嫌いなものは食べたことが無い、と言う人が居ます。
母の好き嫌いを押し付けられることなく何でも挑戦させてもらえてありがたいなぁっって思いました。
うちには、父方のおじいちゃんも同居でして、この二人は晩酌用に、特別に大人メニュー酒の肴まで出してもらえていました。 貧乏ながらも季節感があり、皆の体調や節句など、様々なことを考えて献立を考えて作る。
自分がその順番になった時に、なんと辛い役目か、と、思い知りました。
「今日の晩御飯なーに?」と、聞かれると、はり倒してやろうか?と思うほど、毎日の献立は大変ですね。
それを、文句も言わず、何年も、何十年も。しかも、メニューや味について不満は言われるとこはあっても、「いつも美味しいご飯をありがとう」って言うてもらったことは少なかったのだろうなぁと思います。
 
お宅の台所にも、みずやに食器が満杯なんでしょうね。うちは、お正月に集合する父方の家族全員分、それぞれの食器が14枚ずつありました。食器棚が狭い家に3台。床が抜けるほどの食器の数でした。
先日も、食器の処分を母と二人で2か月かかりで楽しみました。
結局、処分したのか思い出話に明け暮れたのか、わからんかったです。
宝石のような思い出ですね。本当に。
この、我が家の当たり前、に、気づけて良かったと思ってます。
当たり前って言うのは、こんなにかけがえのないことなんですよね。幸せです。
興奮して話がどんどんずれそうなので、この辺で。
【2015/11/22 18:56】 | 元食堂のおばちゃん #QyMQPslQ | [edit]
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