私の高校時代の同級生で、プロの落語家になった桂蝶六(ちょうろく)師匠という友人がいます。
先日、東京で高校の同窓会があり、蝶六師匠と30年ぶりに会うことができました。
蝶六師匠の高校時代をあまり語ってはいけないと思いますので(笑)、少しだけ(笑)。
彼はやはり当時から面白い人でした。ただ、私の中では凄い努力家です。
落語研究会に入っていましたが、放課後の教室で机の上に座って、遅くまで、ひたすら稽古していた姿を思い出します。
確か高校もバイトしながら通っていた苦学生の面もありました。
でも、弱音のようなことを聞いたことは一回もありません。いつも笑顔で前に進んでいた印象があります。
根性のある男ですね。
高校を卒業した後、豊中市の庄内という場所にある”お寺”で落語をやっていました。私も何度か足を運びましたが、地味な場所で地道に本当によく頑張っていました。
ところで、30年ぶりに会った蝶六師匠には、包容力というか、器ができていた感じがしました。
一緒にいて話をしていても、凄く心地よい感じがしていました。おそらく、その場にいた他の同級生もそう思ったでしょう。
いつも人を笑わせたり、喜ばせたりすることを仕事にしているので、人を包み込むような器ができているのでしょうね。大したものだと思います。
私もマネできることはマネて、学ばせてもらおうと思っています。
先日、東京で高校の同窓会があり、蝶六師匠と30年ぶりに会うことができました。
蝶六師匠の高校時代をあまり語ってはいけないと思いますので(笑)、少しだけ(笑)。
彼はやはり当時から面白い人でした。ただ、私の中では凄い努力家です。
落語研究会に入っていましたが、放課後の教室で机の上に座って、遅くまで、ひたすら稽古していた姿を思い出します。
確か高校もバイトしながら通っていた苦学生の面もありました。
でも、弱音のようなことを聞いたことは一回もありません。いつも笑顔で前に進んでいた印象があります。
根性のある男ですね。
高校を卒業した後、豊中市の庄内という場所にある”お寺”で落語をやっていました。私も何度か足を運びましたが、地味な場所で地道に本当によく頑張っていました。
ところで、30年ぶりに会った蝶六師匠には、包容力というか、器ができていた感じがしました。
一緒にいて話をしていても、凄く心地よい感じがしていました。おそらく、その場にいた他の同級生もそう思ったでしょう。
いつも人を笑わせたり、喜ばせたりすることを仕事にしているので、人を包み込むような器ができているのでしょうね。大したものだと思います。
私もマネできることはマネて、学ばせてもらおうと思っています。