将棋棋士の羽生善治さんが、『THE21 2013年1月号』において、興味深いことを述べておられました。
直感力を支える土台は「経験知」だそうです。
将棋の世界でも知識は陳腐化するそうで、羽生さんが子供の頃に覚えた定跡は、ほとんど使えないとか。
しかし、直接的な知識や技術が使えなくても、それらを身につけるに至ったプロセスの経験が役に立つそうです。
羽生さんは、こうした経験を「経験の物差し」と言われています。
将棋で相手がまったく新しい戦法で挑んできても、この「経験の物差し」があると冷静に対処できるとか。
私は羽生さんみたいに凄くはないんですけど、違った意味で知識を得るためのプロセスは大事なのかなと思っています。
高校生の後半から本を意識して読むようになって、現在50歳になるまで、そこそこの分量の知識は吸収していると思います。
しかし、知識は陳腐化する部分もありますし、吸収した知識をすぐに引き出してくるのは到底無理な話です。
ただ、その知識を得るために勉強してきて、それとともに経験してきたことというのは、自分の中にしっかりと”ある”ような気がします。
それが普段のコンサルティングの仕事にも活きているでしょうし、自分自身の土台を作ってくれているなと思うんですね。
知識を使いこなすのは簡単ではありませんが、常に学び続けるプロセスが経験の一部となって、何かのときに助けてくれているんだなって思っています。
知識は陳腐化しても、経験は無駄にならないですね。
直感力を支える土台は「経験知」だそうです。
将棋の世界でも知識は陳腐化するそうで、羽生さんが子供の頃に覚えた定跡は、ほとんど使えないとか。
しかし、直接的な知識や技術が使えなくても、それらを身につけるに至ったプロセスの経験が役に立つそうです。
羽生さんは、こうした経験を「経験の物差し」と言われています。
将棋で相手がまったく新しい戦法で挑んできても、この「経験の物差し」があると冷静に対処できるとか。
私は羽生さんみたいに凄くはないんですけど、違った意味で知識を得るためのプロセスは大事なのかなと思っています。
高校生の後半から本を意識して読むようになって、現在50歳になるまで、そこそこの分量の知識は吸収していると思います。
しかし、知識は陳腐化する部分もありますし、吸収した知識をすぐに引き出してくるのは到底無理な話です。
ただ、その知識を得るために勉強してきて、それとともに経験してきたことというのは、自分の中にしっかりと”ある”ような気がします。
それが普段のコンサルティングの仕事にも活きているでしょうし、自分自身の土台を作ってくれているなと思うんですね。
知識を使いこなすのは簡単ではありませんが、常に学び続けるプロセスが経験の一部となって、何かのときに助けてくれているんだなって思っています。
知識は陳腐化しても、経験は無駄にならないですね。