ニュースで知りましたが、「タイガーマスク」の主人公、伊達直人(だてなおと)を名乗って、全国で児童養護施設などに様々な匿名の寄付が起きているそうですね。
新品のランドセルや、文房具、商品券、野菜、現金など、子供達のために使ってくださいと、伊達直人名で贈られてきているようです。
とてもいいお話しだと思います。
以前、ブログに書きましたけど、私が最も感銘を受けたテレビ漫画が「タイガーマスク」です。
主人公の伊達直人が、リングではフェアープレーで虎の穴のレスラーを倒し、そのことを隠しながら子供達にプレゼントする姿に感動したものです。
その伊達直人のように、現実にたくさんの方が、子供達に贈り物をされていることを知り、心が温まりました。
ちょうど昨日読んでいた『司馬遼太郎 歴史の中の邂逅(かいこう)4』(中央公論新社)の中で、司馬さんが
「江戸末期から明治中期までの日本人というのは、いまの精神風俗からみて信じがたいほどに親切であった。
とくに有望な若者が嚢中(のうちゅう)の錐(きり)のようにして出てくると、それを宝石のように大切にする気風があり、・・・(以下略)」と書いておられました。
日本人の中には、若い人や困っている人を助けたいという気風が、平成の世でもまだまだあるんだなと思った、嬉しいニュースでした。
新品のランドセルや、文房具、商品券、野菜、現金など、子供達のために使ってくださいと、伊達直人名で贈られてきているようです。
とてもいいお話しだと思います。
以前、ブログに書きましたけど、私が最も感銘を受けたテレビ漫画が「タイガーマスク」です。
主人公の伊達直人が、リングではフェアープレーで虎の穴のレスラーを倒し、そのことを隠しながら子供達にプレゼントする姿に感動したものです。
その伊達直人のように、現実にたくさんの方が、子供達に贈り物をされていることを知り、心が温まりました。
ちょうど昨日読んでいた『司馬遼太郎 歴史の中の邂逅(かいこう)4』(中央公論新社)の中で、司馬さんが
「江戸末期から明治中期までの日本人というのは、いまの精神風俗からみて信じがたいほどに親切であった。
とくに有望な若者が嚢中(のうちゅう)の錐(きり)のようにして出てくると、それを宝石のように大切にする気風があり、・・・(以下略)」と書いておられました。
日本人の中には、若い人や困っている人を助けたいという気風が、平成の世でもまだまだあるんだなと思った、嬉しいニュースでした。
世界を変える若き企業家たちへ
ちょっと話しが古くなってしまいましたが、昨年末に『龍馬伝 総集編』をやっていました。その中でとても印象が強かったシーンがあります。
それは、後藤象二郎を演じた青木崇高(むねたか)さんが、武市半平太の墓参りをするシーンです。
青木崇高さんが、墓地の中で武市半平太の墓を見つけた時です。
じーっと墓を見つめていた青木さんが、くずれるように泣いていました。
これは推測ですが、青木崇高さんが後藤象二郎を演じるにあたり、歴史のことを色々勉強されたんではないでしょうか。
そして、武市半平太の生きざまを知って、実際の墓を見てしまうと、感極まってしまうものがあったのではないかと思います。
青木さんは、「自分はほんとうに弱い人間やなと思いますし、志をもって生きなければいけないと思いました。」と言っていました。
武市半平太は、平成の世でも、人々の心を揺さぶる師であるのですね。
それは、後藤象二郎を演じた青木崇高(むねたか)さんが、武市半平太の墓参りをするシーンです。
青木崇高さんが、墓地の中で武市半平太の墓を見つけた時です。
じーっと墓を見つめていた青木さんが、くずれるように泣いていました。
これは推測ですが、青木崇高さんが後藤象二郎を演じるにあたり、歴史のことを色々勉強されたんではないでしょうか。
そして、武市半平太の生きざまを知って、実際の墓を見てしまうと、感極まってしまうものがあったのではないかと思います。
青木さんは、「自分はほんとうに弱い人間やなと思いますし、志をもって生きなければいけないと思いました。」と言っていました。
武市半平太は、平成の世でも、人々の心を揺さぶる師であるのですね。
世界を変える若き企業家たちへ
何日か前に初詣の話しを書きました。そこで、すごい人がたくさん参拝に来ていた事を述べました。本日はそれに関連して少し書いてみたいと思います。
日本人は普段の生活では、神社やお寺、教会に行くことは少ないと思うんですね。
普段の生活で神様や仏様を意識することは、あまりないことだと思います。
ただ、初詣という習慣、それもほとんどの国民が参加する大イベントで、神社やお寺にお参りするのは、とてもいい習慣だと思うんですね。
人間、どうしても目に見えるもので、物事を判断してしまいがちですが、目に見えないものの中に価値があるものがたくさんあるものです。
例えば愛とか、優しさとか、思いやりとかです。
初詣のように、神様や仏様に祈ることは、目に見えないものに対する行為であります。
その行為は、自己を超えたものに対して敬虔な気持ちを持つというものですので、その意味では、人間の進歩向上にとっては、とても大切なものだという気がします。
神社や仏閣は、人間が謙虚に生き、「自己を超えた大いなるものへの尊崇」を忘れさせないという尊い役割があるのではないかと感じました。
昨今はパワースポット・ブームですけど、神社・仏閣はパワーを与えてくださっているだけではなく、日本人の精神性にとって非常に大切なものを守り続けてくださっているのではないでしょうか。
日本人は普段の生活では、神社やお寺、教会に行くことは少ないと思うんですね。
普段の生活で神様や仏様を意識することは、あまりないことだと思います。
ただ、初詣という習慣、それもほとんどの国民が参加する大イベントで、神社やお寺にお参りするのは、とてもいい習慣だと思うんですね。
人間、どうしても目に見えるもので、物事を判断してしまいがちですが、目に見えないものの中に価値があるものがたくさんあるものです。
例えば愛とか、優しさとか、思いやりとかです。
初詣のように、神様や仏様に祈ることは、目に見えないものに対する行為であります。
その行為は、自己を超えたものに対して敬虔な気持ちを持つというものですので、その意味では、人間の進歩向上にとっては、とても大切なものだという気がします。
神社や仏閣は、人間が謙虚に生き、「自己を超えた大いなるものへの尊崇」を忘れさせないという尊い役割があるのではないかと感じました。
昨今はパワースポット・ブームですけど、神社・仏閣はパワーを与えてくださっているだけではなく、日本人の精神性にとって非常に大切なものを守り続けてくださっているのではないでしょうか。
世界を変える若き企業家たちへ
人はそれぞれに個性を持って生きています。
有難いことに、誰にでも何らかの長所が必ずあって、生きて行くための武器が与えられています。
例えば、てきぱきと仕事をこなす能力を持っている人。
何でも器用にはできないけれど、辛抱強く一つのことを続けられる人。
歌がうまい人。絵が上手な人。運動が得意な人。
発想が豊かな人。優しい人。物おじしない人。などなど。
必ず人は、秀でた何らかの才能や精神的なものを、天から与えられています。
今、どんなに挫折したり、失敗したりしている人にも、必ずあるはずです。
私はそれがその人の“個性”だと思っています。
自分が個性を持っていることを当たり前のことだと思うのではなく、
そのことに感謝をして、その個性をどう生かしていけば一番良いかを
考えることが大切だと思っています。
有難いことに、誰にでも何らかの長所が必ずあって、生きて行くための武器が与えられています。
例えば、てきぱきと仕事をこなす能力を持っている人。
何でも器用にはできないけれど、辛抱強く一つのことを続けられる人。
歌がうまい人。絵が上手な人。運動が得意な人。
発想が豊かな人。優しい人。物おじしない人。などなど。
必ず人は、秀でた何らかの才能や精神的なものを、天から与えられています。
今、どんなに挫折したり、失敗したりしている人にも、必ずあるはずです。
私はそれがその人の“個性”だと思っています。
自分が個性を持っていることを当たり前のことだと思うのではなく、
そのことに感謝をして、その個性をどう生かしていけば一番良いかを
考えることが大切だと思っています。
世界を変える若き企業家たちへ
村上春樹さんの『海辺のカフカ』を初めて読みました。村上春樹さんの作品では『ノルウェイの森』の上巻だけを発売当時に読んだことがあります。ただ、当時は『ノルウェイの森』を読むには自分自身が幼すぎていたと感じています。
さて、『海辺のカフカ』ですが、難解でした。
解釈が非常に難しいですね。村上春樹さんも、推理小説風に事件の核心に触れて行くような流れで書いているのですが、はっきりと説明なり、こうだったんだということを書いていないので、結局多くのことが謎のままで(読者の解釈にゆだねられるということでしょうか)終わってしまいます。
『ノルウェイの森』のような現実的な話しかなと思って『海辺のカフカ』を読んだので、多少SF的、オカルト的、バイオレンス的なところがあり、余計に面喰ったのかもしれません。
村上春樹さんは、次のように思って書いたのではないかと推測しました。
今、私達がいる世界は、現実と非現実(別次元または霊界のようなもの)が同時に存在しているものであり、
人間は混とんとした「説明のできない世界」に生きている。
そして人間も、捨ててはいけない記憶を捨てて、実体のない「抜け殻」のような存在になってしまっている。
しかし、取り返しのつかないような嫌な記憶でも、それをしっかりと受け止めて生きて行く。
それが生きることの意味なのだと。
ここで私は「説明のできない世界」と書きました。しかしながら、村上春樹さんはこうした表現を使って世界を表現をしていません。
では、なぜ私がそう書いたかと言いますと、この小説の中では不思議なことが(普通ありえないことです)たくさん書かれています。
けれども、そのことについて、論理的に説明していなかったからです。
なぜそういうことが起きるのか、なぜそのような人がいるのか、説明がされていませんでした。
「この世界というのは、言葉や科学や論理では、説明できないけれども、そういうものなんだよ」というのが作者のメッセージではないかと思ったんですね。
しかし、私は、この世に限らず、宇宙も、別次元も、全て説明がつく世界に我々は存在していると思っています。
私にはその説明はできません。ですが、説明ができるかどうかは別です。あるいは、他に説明出来る人が存在しているかどうかも別です。
全ての現象、世界は必ず「理由」があり、存在し、生き続けていると思います。
たまたまは、ありえないと思います。
「何らかの意志が働き、意図のもとに人間が存在し、宇宙が存在している」と思います。
全ての事象には説明が可能なはずです(言葉で説明が出来る人がいるかどうかは別です)。
私は、人間は混とんとした世界に生きているのではなくて、本当は「完璧な世界」(静止しているのではなく、自由に動きながらも完全な世界)に生きているのではないかと推測しています。
![]() | 海辺のカフカ (上) (新潮文庫) (2005/02/28) 村上 春樹 商品詳細を見る |
さて、『海辺のカフカ』ですが、難解でした。
解釈が非常に難しいですね。村上春樹さんも、推理小説風に事件の核心に触れて行くような流れで書いているのですが、はっきりと説明なり、こうだったんだということを書いていないので、結局多くのことが謎のままで(読者の解釈にゆだねられるということでしょうか)終わってしまいます。
『ノルウェイの森』のような現実的な話しかなと思って『海辺のカフカ』を読んだので、多少SF的、オカルト的、バイオレンス的なところがあり、余計に面喰ったのかもしれません。
村上春樹さんは、次のように思って書いたのではないかと推測しました。
今、私達がいる世界は、現実と非現実(別次元または霊界のようなもの)が同時に存在しているものであり、
人間は混とんとした「説明のできない世界」に生きている。
そして人間も、捨ててはいけない記憶を捨てて、実体のない「抜け殻」のような存在になってしまっている。
しかし、取り返しのつかないような嫌な記憶でも、それをしっかりと受け止めて生きて行く。
それが生きることの意味なのだと。
ここで私は「説明のできない世界」と書きました。しかしながら、村上春樹さんはこうした表現を使って世界を表現をしていません。
では、なぜ私がそう書いたかと言いますと、この小説の中では不思議なことが(普通ありえないことです)たくさん書かれています。
けれども、そのことについて、論理的に説明していなかったからです。
なぜそういうことが起きるのか、なぜそのような人がいるのか、説明がされていませんでした。
「この世界というのは、言葉や科学や論理では、説明できないけれども、そういうものなんだよ」というのが作者のメッセージではないかと思ったんですね。
しかし、私は、この世に限らず、宇宙も、別次元も、全て説明がつく世界に我々は存在していると思っています。
私にはその説明はできません。ですが、説明ができるかどうかは別です。あるいは、他に説明出来る人が存在しているかどうかも別です。
全ての現象、世界は必ず「理由」があり、存在し、生き続けていると思います。
たまたまは、ありえないと思います。
「何らかの意志が働き、意図のもとに人間が存在し、宇宙が存在している」と思います。
全ての事象には説明が可能なはずです(言葉で説明が出来る人がいるかどうかは別です)。
私は、人間は混とんとした世界に生きているのではなくて、本当は「完璧な世界」(静止しているのではなく、自由に動きながらも完全な世界)に生きているのではないかと推測しています。
世界を変える若き企業家たちへ
間寛平さんが、アースマラソンを見事に成し遂げられましたね。
すごいというか、言葉になりませんね。考えられないような前人未到の記録だと思います。
寛平さんは、50年か、100年か、分かりませんが、後世では“神様”になっているかもしれません。
日本では、その方を尊崇し、祭ると神社ができますので、世界一周のマラソンを成し遂げた間寛平さんを、神様のように祭って神社ができてもおかしくないでしょうね。
それほど偉大な業績だと思います。
(寛平さんご自身がすごいのは間違いないですが、「目に見えない天の加護」が働かないと、こうした危険で大変なことは成し遂げられるものではないと思います。)
今の日本、元気が無いと言われています。
しかし、この間寛平さんのアースマラソン踏破を機に、日本が元気になって行くのではないかとまで思いました。
たった一人の行動ですけど、大きな歴史の転換点だったと、後世で言われる出来事を私達は目撃したのかもしれませんね。
追伸:サッカー日本代表もアジアカップで、完全アウェーの中、10人で逆転勝利でした!
何かが変わり始めていると考えたいですね。
すごいというか、言葉になりませんね。考えられないような前人未到の記録だと思います。
寛平さんは、50年か、100年か、分かりませんが、後世では“神様”になっているかもしれません。
日本では、その方を尊崇し、祭ると神社ができますので、世界一周のマラソンを成し遂げた間寛平さんを、神様のように祭って神社ができてもおかしくないでしょうね。
それほど偉大な業績だと思います。
(寛平さんご自身がすごいのは間違いないですが、「目に見えない天の加護」が働かないと、こうした危険で大変なことは成し遂げられるものではないと思います。)
今の日本、元気が無いと言われています。
しかし、この間寛平さんのアースマラソン踏破を機に、日本が元気になって行くのではないかとまで思いました。
たった一人の行動ですけど、大きな歴史の転換点だったと、後世で言われる出来事を私達は目撃したのかもしれませんね。
追伸:サッカー日本代表もアジアカップで、完全アウェーの中、10人で逆転勝利でした!
何かが変わり始めていると考えたいですね。
世界を変える若き企業家たちへ
何事も、マンネリということが起きます。
会社では、新入社員の時や、新しい部署に移った時などは、新鮮な気持ちで働くのですが、時が経つにつれて、マンネリしてしまうものです。
もし、今、自分が働いていて「刺激がない」とか、「マンネリ気味かな」と思っている方は、意識的に新鮮な気持ちになろうとしてください。
その時には、いくつかのコツがあります。
普段やらないことをやることです。
例えば、会社なら、いつもより早く出社して、机の周りや会社の入り口などを掃除してみる。
いつも電話を取らないなら、自分が真っ先に電話を取るようにする。
お昼を食べるメンバーや場所を変えてみる。
お客様のところで、今までに話したことのないような話題をしてみる。
飲んだことのない社員を飲みに誘ってみる、などなどです。
人間って、気付かない内に、自分のパターンで決まった行動をしがちです。
少し普段と違った行動をするだけで、新鮮な感覚があるはずです。
社内というのは、大抵マンネリ化した雰囲気が流れているものですから、一人でも新鮮な感覚の人がいれば、いい影響を社内に与えると思います。
何年働いても、社内にいい刺激を与えることができる人って、貴重だと思いますね。
会社では、新入社員の時や、新しい部署に移った時などは、新鮮な気持ちで働くのですが、時が経つにつれて、マンネリしてしまうものです。
もし、今、自分が働いていて「刺激がない」とか、「マンネリ気味かな」と思っている方は、意識的に新鮮な気持ちになろうとしてください。
その時には、いくつかのコツがあります。
普段やらないことをやることです。
例えば、会社なら、いつもより早く出社して、机の周りや会社の入り口などを掃除してみる。
いつも電話を取らないなら、自分が真っ先に電話を取るようにする。
お昼を食べるメンバーや場所を変えてみる。
お客様のところで、今までに話したことのないような話題をしてみる。
飲んだことのない社員を飲みに誘ってみる、などなどです。
人間って、気付かない内に、自分のパターンで決まった行動をしがちです。
少し普段と違った行動をするだけで、新鮮な感覚があるはずです。
社内というのは、大抵マンネリ化した雰囲気が流れているものですから、一人でも新鮮な感覚の人がいれば、いい影響を社内に与えると思います。
何年働いても、社内にいい刺激を与えることができる人って、貴重だと思いますね。