今日は10月1日ですね。衣替えの時でもありますし、会社では内定式が行われたり、上期が終わり下期が始まったりしているところもあるでしょう。
私も何か新しいスタートの時だという気がします。
先日、ちょっとした気づきがありました。よくちまたで言う「引き寄せの法則」には、「感謝」がキーワードになっています。
ワトルズは、「思考する物質」(いわゆる神様です。宇宙の創造主という感じでしょう)に感謝することによって、お金を引く寄せることができると言っています。
私は、この感謝がどうもよくつかめていませんでした。
「神様、ありがとうございます」と唱えることなのかなと、漠然としか捉えることが出来ていなかったのです。
ところが先日、はっ!とひらめきがあって、「感謝というのは、言葉を唱えることだけではなくて、神様への報恩の気持ちで仕事をすることだ」と気付かされたのです。
神様や、両親や家族や、お世話になった方々への報恩行として、今の自分の仕事にベストを尽くすことが感謝なんだと思いました。
ですから、ただビジネスをしている気持ちでコンサルタントをするのではなく、苦難、困難の中で得た知恵を、今まで生かされてきた感謝の思いで、人々に役立てて行きたいと願っています。
これから大きなうねりが起きてくるような予感がしています。
ありがとうございました。
私も何か新しいスタートの時だという気がします。
先日、ちょっとした気づきがありました。よくちまたで言う「引き寄せの法則」には、「感謝」がキーワードになっています。
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ワトルズは、「思考する物質」(いわゆる神様です。宇宙の創造主という感じでしょう)に感謝することによって、お金を引く寄せることができると言っています。
私は、この感謝がどうもよくつかめていませんでした。
「神様、ありがとうございます」と唱えることなのかなと、漠然としか捉えることが出来ていなかったのです。
ところが先日、はっ!とひらめきがあって、「感謝というのは、言葉を唱えることだけではなくて、神様への報恩の気持ちで仕事をすることだ」と気付かされたのです。
神様や、両親や家族や、お世話になった方々への報恩行として、今の自分の仕事にベストを尽くすことが感謝なんだと思いました。
ですから、ただビジネスをしている気持ちでコンサルタントをするのではなく、苦難、困難の中で得た知恵を、今まで生かされてきた感謝の思いで、人々に役立てて行きたいと願っています。
これから大きなうねりが起きてくるような予感がしています。
ありがとうございました。
世界を変える若き企業家たちへ
阪神タイガースの2010年が終戦しました。「孔明の仕事相談室」では、たくさんの阪神タイガースの記事を書いて来ましたので、簡単に総括をしておきたいと思います。
今年の阪神を見ていると「勝負どころで、打てない、守りきれない」という言葉が象徴していると思います。
裏を返せば、どうでもいい試合(1流の投手以外が投げている時)になると「大量点差で勝利する」という「弱い者いじめ」が得意なチームでした。
具体的に打撃と投手について、問題点を一つずつに絞って考えてみたいと思います。
●打撃部門の問題点
「走者を進めるバッティングができなかった」
阪神のバッターは、ほとんどが、ただ振るだけです。ランナーがいても、ほとんどのバッターがバントをできませんし、ランナーを進めるバッティングもできません。そして打つと、ダブルプレーが多かったですね。
また、シーズン後半のプレッシャーのかかる場面では、ランナーが3塁にいて外野フライでも1点というときに、ライナーや内野フライを打ち上げていました。
こうしたことは、平時に徹底して練習しておかないとできないことだと思います。
プレッシャーのかかる場面ではどうすれば点を取れるかを、普段からシミュレーションして、そのバッティングを徹底して練習しなければいけないでしょう。例えば、思いっきり叩きつけて、ゴロを打つバッティングなどです。
そういえば、ブラゼル、金本、城島と、ただ振るだけのバッターが並んでいる打順も良くなかったと思います。ポイントゲッターとして、3、4、5番を、マートン、鳥谷、新井で構成して、1番平野、2番藤川俊介がいいのではないでしょうか。
●投手部門の問題点
「藤川球児投手に依存し過ぎている投手陣」
阪神の勝利の方程式は、以前横浜が優勝した佐々木投手を守護神にした野球と同じだと思うんです。当時の横浜は先発投手がそれほどそろっていなかったんですが、とにかく佐々木投手につなげば勝てるという野球でしたね。
しかし、藤川球児投手は過去のシーズンの蓄積疲労がたまっていますし、イニングまたぎとかで酷使して、後半の大事な時期に本来の力を発揮できなくなっていました。
これは藤川球児投手が悪いのではなく、そういう状況に追い込んだチームスタッフ、投手陣の問題だと思います。
人間ですから、絶対的守護神はありえません。
先発がいいピッチングをしているなら9回まで投げさせるべきです。セリーグの野球は、最後はストッパーに任せるということをやっていますが、先発は完投するものだという意識で投げさせるべきだと思います(井川投手に帰って来てもらいたいですね)。
阪神は、勝負どころで勝てるチームに、チームカラーをイノベーションしないといけないでしょう。
フロントや首脳陣は、何が足りなかったかを冷静に分析して来シーズンに繋げていただきたいと思います。
今年の阪神を見ていると「勝負どころで、打てない、守りきれない」という言葉が象徴していると思います。
裏を返せば、どうでもいい試合(1流の投手以外が投げている時)になると「大量点差で勝利する」という「弱い者いじめ」が得意なチームでした。
具体的に打撃と投手について、問題点を一つずつに絞って考えてみたいと思います。
●打撃部門の問題点
「走者を進めるバッティングができなかった」
阪神のバッターは、ほとんどが、ただ振るだけです。ランナーがいても、ほとんどのバッターがバントをできませんし、ランナーを進めるバッティングもできません。そして打つと、ダブルプレーが多かったですね。
また、シーズン後半のプレッシャーのかかる場面では、ランナーが3塁にいて外野フライでも1点というときに、ライナーや内野フライを打ち上げていました。
こうしたことは、平時に徹底して練習しておかないとできないことだと思います。
プレッシャーのかかる場面ではどうすれば点を取れるかを、普段からシミュレーションして、そのバッティングを徹底して練習しなければいけないでしょう。例えば、思いっきり叩きつけて、ゴロを打つバッティングなどです。
そういえば、ブラゼル、金本、城島と、ただ振るだけのバッターが並んでいる打順も良くなかったと思います。ポイントゲッターとして、3、4、5番を、マートン、鳥谷、新井で構成して、1番平野、2番藤川俊介がいいのではないでしょうか。
●投手部門の問題点
「藤川球児投手に依存し過ぎている投手陣」
阪神の勝利の方程式は、以前横浜が優勝した佐々木投手を守護神にした野球と同じだと思うんです。当時の横浜は先発投手がそれほどそろっていなかったんですが、とにかく佐々木投手につなげば勝てるという野球でしたね。
しかし、藤川球児投手は過去のシーズンの蓄積疲労がたまっていますし、イニングまたぎとかで酷使して、後半の大事な時期に本来の力を発揮できなくなっていました。
これは藤川球児投手が悪いのではなく、そういう状況に追い込んだチームスタッフ、投手陣の問題だと思います。
人間ですから、絶対的守護神はありえません。
先発がいいピッチングをしているなら9回まで投げさせるべきです。セリーグの野球は、最後はストッパーに任せるということをやっていますが、先発は完投するものだという意識で投げさせるべきだと思います(井川投手に帰って来てもらいたいですね)。
阪神は、勝負どころで勝てるチームに、チームカラーをイノベーションしないといけないでしょう。
フロントや首脳陣は、何が足りなかったかを冷静に分析して来シーズンに繋げていただきたいと思います。
世界を変える若き企業家たちへ
今日の「龍馬伝」は、「清風亭の対決」でした。史実とは大分内容を変えていた様ですが、「龍馬伝」の中では一番面白かった部類の話しになっていたと思います。
今回はなんといっても青木崇高さんが怪演している後藤象二郎でしょう。青木さんが異様な形相で、香川照之さんの岩崎弥太郎をいじめるところは、「龍馬伝」のお笑いシーンだと思いますが、実際の後藤象二郎もすごい人物だったようです。
勝海舟は、「後藤は大きすぎる。シナ(中国)の皇帝にでもうまれていればよかった。」と語っています。
三国志の曹操のような、乱世の雄ですね。
後藤象二郎は、金を湯水のように使い、かつ公私の区別が無かったようで、維新後に当時の大阪府の予算以上に借金があっても平然としていたそうです。
岩崎弥太郎が三菱の礎を築けたのも、後藤象二郎が独断で藩の大阪屋敷や江戸屋敷、汽船を岩崎にあげたおかげです。
「龍馬伝」では、清風亭に蒼井優さんのお元がいるのは岩崎弥太郎の配慮となっていましたが、実際は後藤象二郎の心遣いで呼んでいます。
それはさておき、「清風亭の対決」の福山雅治さんの坂本龍馬を見ていると、諸葛孔明が呉の国へ単身乗り込んで、孫権を説得し魏の曹操に対抗する場面を思い出しました。
三国志好きの私としては、それゆえに今回の「龍馬伝」が面白く感じたのだと思います。
三国志の孔明といえば、この「清風亭の対決」の前に、幕長止戦のため、諸葛孔明のように、単身長州に乗り込む勝海舟の場面があるんですけど、残念ながら「龍馬伝」ではありませんでした。
一見、脇道のストーリーみたいなところに、面白いお話しがあるんですけどね、残念でした。
今回はなんといっても青木崇高さんが怪演している後藤象二郎でしょう。青木さんが異様な形相で、香川照之さんの岩崎弥太郎をいじめるところは、「龍馬伝」のお笑いシーンだと思いますが、実際の後藤象二郎もすごい人物だったようです。
勝海舟は、「後藤は大きすぎる。シナ(中国)の皇帝にでもうまれていればよかった。」と語っています。
三国志の曹操のような、乱世の雄ですね。
後藤象二郎は、金を湯水のように使い、かつ公私の区別が無かったようで、維新後に当時の大阪府の予算以上に借金があっても平然としていたそうです。
岩崎弥太郎が三菱の礎を築けたのも、後藤象二郎が独断で藩の大阪屋敷や江戸屋敷、汽船を岩崎にあげたおかげです。
「龍馬伝」では、清風亭に蒼井優さんのお元がいるのは岩崎弥太郎の配慮となっていましたが、実際は後藤象二郎の心遣いで呼んでいます。
それはさておき、「清風亭の対決」の福山雅治さんの坂本龍馬を見ていると、諸葛孔明が呉の国へ単身乗り込んで、孫権を説得し魏の曹操に対抗する場面を思い出しました。
三国志好きの私としては、それゆえに今回の「龍馬伝」が面白く感じたのだと思います。
三国志の孔明といえば、この「清風亭の対決」の前に、幕長止戦のため、諸葛孔明のように、単身長州に乗り込む勝海舟の場面があるんですけど、残念ながら「龍馬伝」ではありませんでした。
一見、脇道のストーリーみたいなところに、面白いお話しがあるんですけどね、残念でした。
世界を変える若き企業家たちへ
私は、「世の人々の心を潤し、人々へ富を拡げるような経営者」を応援したいと、心から願っています。
私には夢があります。
それは、コンサルティングさせていただいている全ての顧問先企業や、
今後ご縁があって出会う企業が、
たとえ今は小さな会社であっても、
いつの日か世界的企業になられて、日本と世界の経済発展に貢献するというものです。
ソニーも最初は小さな町工場でした。
でも創業者の盛田昭夫さんや井深大さんが生きておられる時に、ソニーは世界企業になっています。
不可能なことではありません。
ただ、大きなビジョンを達成するには様々な協力者が必要です。
今後出会うであろう、たくさんの協力者の方々に
お会いできるのを、心から楽しみにしています。
私には夢があります。
それは、コンサルティングさせていただいている全ての顧問先企業や、
今後ご縁があって出会う企業が、
たとえ今は小さな会社であっても、
いつの日か世界的企業になられて、日本と世界の経済発展に貢献するというものです。
ソニーも最初は小さな町工場でした。
でも創業者の盛田昭夫さんや井深大さんが生きておられる時に、ソニーは世界企業になっています。
不可能なことではありません。
ただ、大きなビジョンを達成するには様々な協力者が必要です。
今後出会うであろう、たくさんの協力者の方々に
お会いできるのを、心から楽しみにしています。
世界を変える若き企業家たちへ
最近、プロ野球選手の戦力外(クビ)の記事を見かけます。まだ20代の選手も多くいます。
子供の頃から野球をやって、プロ野球選手になって、戦力外通知を受けるのは、とてもつらいことだと思います。
そんな方々へ、私がかけられる言葉は、まず事実を受け入れることだと思います。
まだまだ現役を続ける意志のある方は、トライアウトを受けるなり、他球団から声がかかるのを待つなり、方法もあると思います。
しかし、もうプロとしてやっていけないと思った方、あるいは他球団への入団の可能性が無くなった方は、つらいですけど、現実をまず受け止めることが大事だと思うんです。
人生は野球だけではありませんし、40歳までプロ野球選手としてやった人でも、80歳まで生きれば後の人生が40年残っています。
生きがいも、仕事も、野球以外にもたくさんありますし、再スタートを切ればいいんです。
決して、自暴自棄にならずに、野球でがんばった気持ちをもって、別の人生で花を咲かせていただきたいと思います。
プロ野球選手になりたくてもなれずに一所懸命働いている人はたくさんいます。
そして、その人達もサラリーマンや商売をして全てがうまくいっているかというと、
たくさんの挫折や失敗があるのではないでしょうか。
それでも、
しんどくても、
一所懸命に生きて行くことが尊いことなんだと思います。
生きていればこそ、必ず喜びの時があります。
生きていて良かったと涙を流せる日があります。
自分をダメだと否定することなく、頑張ってください。
必ず日はまた昇ります。
子供の頃から野球をやって、プロ野球選手になって、戦力外通知を受けるのは、とてもつらいことだと思います。
そんな方々へ、私がかけられる言葉は、まず事実を受け入れることだと思います。
まだまだ現役を続ける意志のある方は、トライアウトを受けるなり、他球団から声がかかるのを待つなり、方法もあると思います。
しかし、もうプロとしてやっていけないと思った方、あるいは他球団への入団の可能性が無くなった方は、つらいですけど、現実をまず受け止めることが大事だと思うんです。
人生は野球だけではありませんし、40歳までプロ野球選手としてやった人でも、80歳まで生きれば後の人生が40年残っています。
生きがいも、仕事も、野球以外にもたくさんありますし、再スタートを切ればいいんです。
決して、自暴自棄にならずに、野球でがんばった気持ちをもって、別の人生で花を咲かせていただきたいと思います。
プロ野球選手になりたくてもなれずに一所懸命働いている人はたくさんいます。
そして、その人達もサラリーマンや商売をして全てがうまくいっているかというと、
たくさんの挫折や失敗があるのではないでしょうか。
それでも、
しんどくても、
一所懸命に生きて行くことが尊いことなんだと思います。
生きていればこそ、必ず喜びの時があります。
生きていて良かったと涙を流せる日があります。
自分をダメだと否定することなく、頑張ってください。
必ず日はまた昇ります。
世界を変える若き企業家たちへ
今回は失敗について考えてみたいと思います。人生では色々な種類の失敗があると思います。
男女間の問題では、失恋、離婚などがあります。
ビジネスでは、失注、仕事のミス・事故、失業、人間関係が壊れるなどがありますね。
あるいは勢い込んで会社を作って、倒産してしまったというのもあるでしょう。
様々な人が複雑な環境で競争しているので、どうしても失敗は起きてきます。
でも、失敗するようなことにトライできたことも素晴らしいことではないでしょうか。
例えば、失恋だったら、相手に気持ちを伝えたことがあったからこそ失恋しているわけですし、トライする勇気は素晴らしい事だと思うんです。
事業の倒産だってそうです。
事業にトライしたからこそ、失敗することがありますが、それはトライした結果でもあります。
何でも挑戦する、トライする、試みることは勇気がいることです。
手前味噌で恐縮なのですが、私もよく40代後半で、子供の学費がかかるときに、
よくビジネスを始めたなと思うことがあります。
無謀といえば、無謀ですよね。
でも、やってみて苦労して見えるものがありますし、やったことによる後悔はありません。
前向きにトライしてうまくいかなくても、それは失敗ではなく教訓を得たのだと思います。
人生、そんなにトライするチャンスはたくさんありません。
やりたいことがあるなら、思い切ってやってみましょう。
男女間の問題では、失恋、離婚などがあります。
ビジネスでは、失注、仕事のミス・事故、失業、人間関係が壊れるなどがありますね。
あるいは勢い込んで会社を作って、倒産してしまったというのもあるでしょう。
様々な人が複雑な環境で競争しているので、どうしても失敗は起きてきます。
でも、失敗するようなことにトライできたことも素晴らしいことではないでしょうか。
例えば、失恋だったら、相手に気持ちを伝えたことがあったからこそ失恋しているわけですし、トライする勇気は素晴らしい事だと思うんです。
事業の倒産だってそうです。
事業にトライしたからこそ、失敗することがありますが、それはトライした結果でもあります。
何でも挑戦する、トライする、試みることは勇気がいることです。
手前味噌で恐縮なのですが、私もよく40代後半で、子供の学費がかかるときに、
よくビジネスを始めたなと思うことがあります。
無謀といえば、無謀ですよね。
でも、やってみて苦労して見えるものがありますし、やったことによる後悔はありません。
前向きにトライしてうまくいかなくても、それは失敗ではなく教訓を得たのだと思います。
人生、そんなにトライするチャンスはたくさんありません。
やりたいことがあるなら、思い切ってやってみましょう。
世界を変える若き企業家たちへ
NHKの『歴史秘話ヒストリア』で「逃げちゃだめだ~逃亡者 桂小五郎」という番組がありました。その中で印象的だったことが、桂小五郎の妻であった幾松(いくまつ)さんのことです。
桂小五郎は、池田屋事変や禁門の変で生き残り、長州の仲間から「臆病者」といわれるようになります。小五郎は自分だけが生き残ったことについての自責の念もあり、政治の世界から離れ、身を隠してしまいます。
幾松は、京都で桂小五郎と知り合ったのですが、小五郎のことが忘れられず、京都から長州へ小五郎を探しに行きます。
長州では会えなかったのですが、兵庫県の北の出石(いずし)という所にいるという噂を聞きつけ、幾松は長州から出石へ向います。
途中で供の男がばくちにお金を使い、逃げてしまい、幾松は身の回りのものを売りながら一人で10日間の山越えをして出石に行ったそうです。
そして遂に出石で小五郎を見つけますが、小五郎は少女と結婚して商人として暮らしていました。
幾松は懸命に小五郎を説得しました。
中々説得に応じない小五郎と妻を連れて、幾松は城崎(きのさき)の宿に行き、そこで説得を続けました。
「あなたは、こんないなかで埋もれてしまうような人じゃない、もう一度、長州のため、日本のために一旗揚げてください。」と1か月にも渡って話しをしたようです。
そして、桂小五郎は長州に帰る決意をします。若き妻には一緒に長州に来るように幾松は薦めましたが、事情を察して妻は出石に残ることになりました。
その後、薩長同盟等、維新へ奔走する桂小五郎の活躍が始まります。
幾松がいなかったら、桂小五郎の活躍はあったのでしょうか?
私は、好きな人の可能性を信じ、その人(小五郎)を揺り動かした幾松の貢献は、明治の元勲と同じようなものだと思います。
私事でお恥ずかしい話しなのですが、私も妻に励まされて、ここまでやって来られたと思っています。
「もうだめだ」と思ったことは何度かありましたが、いつも妻に励まされ、勇気づけられていたと思います。
実は、今日はわが家の「結婚記念日」です。
このめでたき日に、乾杯!(笑)
桂小五郎は、池田屋事変や禁門の変で生き残り、長州の仲間から「臆病者」といわれるようになります。小五郎は自分だけが生き残ったことについての自責の念もあり、政治の世界から離れ、身を隠してしまいます。
幾松は、京都で桂小五郎と知り合ったのですが、小五郎のことが忘れられず、京都から長州へ小五郎を探しに行きます。
長州では会えなかったのですが、兵庫県の北の出石(いずし)という所にいるという噂を聞きつけ、幾松は長州から出石へ向います。
途中で供の男がばくちにお金を使い、逃げてしまい、幾松は身の回りのものを売りながら一人で10日間の山越えをして出石に行ったそうです。
そして遂に出石で小五郎を見つけますが、小五郎は少女と結婚して商人として暮らしていました。
幾松は懸命に小五郎を説得しました。
中々説得に応じない小五郎と妻を連れて、幾松は城崎(きのさき)の宿に行き、そこで説得を続けました。
「あなたは、こんないなかで埋もれてしまうような人じゃない、もう一度、長州のため、日本のために一旗揚げてください。」と1か月にも渡って話しをしたようです。
そして、桂小五郎は長州に帰る決意をします。若き妻には一緒に長州に来るように幾松は薦めましたが、事情を察して妻は出石に残ることになりました。
その後、薩長同盟等、維新へ奔走する桂小五郎の活躍が始まります。
幾松がいなかったら、桂小五郎の活躍はあったのでしょうか?
私は、好きな人の可能性を信じ、その人(小五郎)を揺り動かした幾松の貢献は、明治の元勲と同じようなものだと思います。
私事でお恥ずかしい話しなのですが、私も妻に励まされて、ここまでやって来られたと思っています。
「もうだめだ」と思ったことは何度かありましたが、いつも妻に励まされ、勇気づけられていたと思います。
実は、今日はわが家の「結婚記念日」です。
このめでたき日に、乾杯!(笑)