
私は中学、高校と、学校へ行くのが大嫌いでした(笑)。
理由はいろいろあります(笑)。
「教師が嫌だった」、「授業がつまらなかった」、「嫌なクラスメートがいた(笑)」、「先輩がうっとおしかった」、「集団ルールに縛られるのがあほらしかった」など、挙げればたくさんあります(笑)。
学校というシステムには様々な問題があると思います。
今日はその中で一点に絞ってお話をしたいと思います。
それは、教師が生徒に「学問をすることの意義や喜びを教えていない」ことです。少なくとも、私が習った中学、高校では、勉強することの積極的な意義や意味を押してくれる先生はいませんでした。
みなさんは生徒から「学校で勉強をして何の得があるのか?」と聞かれたら、なんと答えますか?「何のために英語を勉強するのか?数学を勉強するのか?」と聞かれたら、なんと答えますか?
たぶん、この答えを前向きに言える先生は少ないと思っています。
「勉強して優秀な成績を取ったら、偏差値の難しい大学に入学できて、就職に有利だ。」くらいの答えを言う人が多いのではないでしょうか。
「社会に出て、英語ができれば国際人として活躍できる。」なんかも言う人がいるでしょう。
でも、大学や社会人になったときのことを型どおりに話しても、生徒の心を揺さぶることはないでしょうね。
私が思う良い先生とは、「なぜ勉強をするのか」について明確な答えを出せて、その答えによって生徒の心を動かせるような人です。
勉強する”動機づけ”ができる人ですね。
それができたら、生徒は勉強に興味を持ち、真剣に学ぼうとします。
そこを、すっ飛ばして、機械的に教科書どおりに教えてもうまくいかないでしょう。
学校の先生に限らず、何かものを教える人は、教える前に「これを学んだら、あなたはこういうように素晴らしくなれますよ。」と言えるようにしておくといいですよ。

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世界を変える若き企業家たちへ
学校教育が今後良くなる可能性は低いでしょうね。
なぜなら、良い意味でも悪い意味でも、国家が学校をコントロールしているからです。
良い意味では、国民全体に均一なレベルでの知識を教えていることがあります。また、最低の教育をギリギリ防いでいる面があります。
悪い意味では、生徒に一番近い現場にイノベーションの機会を与えられていないことです。「イノベーションを求められていない」ということは、現場を大幅に改善していくことができないことを意味しています。
またもう一つ大きなことは、生徒は教師の人格を通じて勉強をしていることに学校が気づいていないことです。大抵の生徒は、教師が嫌いだから、その科目を嫌いになります。逆に、尊敬できる先生の授業は、興味を持って学ぼうとするのです。
生徒は、勉強する科目の知識を体現している人を尊敬し、その人格を肌で感じているのです。それがイマイチであったら、生徒はその教師の言葉を聞きません。
ただし、教員の人は、教える知識を学んでいる人は多いと思いますが、人格を磨くために何か修養をしている人は少ないでしょう。このギャップが学校教育が難しい理由の一つです。
さて、学校教育の限界は解決が難しいので、「一般教養を学ぶ場だ」と達観した方がいいのかもしれません。
しかしながら、我々は社会人教育の充実を図っていかなければならないのです。
すなわち、ビジネスの世界、恋愛、結婚、子育てなど、学校を出た後に必須になる知識を体系的に学べる社会人教育が必要になります。
広範囲の知識になりますけれども、これらはどれを取っても大切なものばかりです。
ネット上に書くと炎上しそうなことでも、一般論として知っておけば、大きな失敗をしないで済むことも多いのです。
なぜなら、良い意味でも悪い意味でも、国家が学校をコントロールしているからです。
良い意味では、国民全体に均一なレベルでの知識を教えていることがあります。また、最低の教育をギリギリ防いでいる面があります。
悪い意味では、生徒に一番近い現場にイノベーションの機会を与えられていないことです。「イノベーションを求められていない」ということは、現場を大幅に改善していくことができないことを意味しています。
またもう一つ大きなことは、生徒は教師の人格を通じて勉強をしていることに学校が気づいていないことです。大抵の生徒は、教師が嫌いだから、その科目を嫌いになります。逆に、尊敬できる先生の授業は、興味を持って学ぼうとするのです。
生徒は、勉強する科目の知識を体現している人を尊敬し、その人格を肌で感じているのです。それがイマイチであったら、生徒はその教師の言葉を聞きません。
ただし、教員の人は、教える知識を学んでいる人は多いと思いますが、人格を磨くために何か修養をしている人は少ないでしょう。このギャップが学校教育が難しい理由の一つです。
さて、学校教育の限界は解決が難しいので、「一般教養を学ぶ場だ」と達観した方がいいのかもしれません。
しかしながら、我々は社会人教育の充実を図っていかなければならないのです。
すなわち、ビジネスの世界、恋愛、結婚、子育てなど、学校を出た後に必須になる知識を体系的に学べる社会人教育が必要になります。
広範囲の知識になりますけれども、これらはどれを取っても大切なものばかりです。
ネット上に書くと炎上しそうなことでも、一般論として知っておけば、大きな失敗をしないで済むことも多いのです。
世界を変える若き企業家たちへ
昨日のブログにて「習慣」のことを書きました。
悪い習慣の代表は、「怠惰」です。
怠惰がなぜいけないかというと、怠惰な人は、ときおり怠惰になるのではなく、常に怠惰だからよくないのです。
ケチな人は誰かに対してケチだということではなく、誰に対してもケチです(笑)。
それと同じで、習慣になっている怠惰は、何をやるときも、どのタイミングでも怠惰なので、よくないのですね。
よくプロ野球選手やサッカー選手が、「僕は練習が嫌いなんです。」と言うことがあります。
あれは、「練習嫌い」という表現を使わない方が良いですね。そうした言い方をすると本質を見誤ってしまいます。
「私は、怠惰なんです。」と言うべきです。
たぶん、プロスポーツの厳しい練習が好きな人は、ほとんどいないでしょう。特に反復するような練習は、誰でも嫌なはずです。
その「嫌な気持ち」に打ち勝って、自分を奮い立たせて練習できるかどうかが、努力家なのか、怠惰なのかの分かれ道です。
企業は、偏差値の高い有名大学の学生を取りたがりますよね。あれは、頭の良さも評価しているのでしょうけど、それ以上に継続して努力できる性格を評価しているのだと思います。
つまり、難関な大学に入るには、何年もの継続した努力をしてきたということになるので、それは他の仕事にも応用ができる性質だということですね。仕事においても努力することが期待できるということです。
この怠惰というのは、質(たち)が悪く、自分が怠惰という自覚がないことがほとんどだと思います。
だから、いっそのこと、「自分は、怠け者だ」と思って、自分が時間をどのように使っているかを振り返る方がいいかもです。
人間は自分を甘やかす理論を簡単に作ってしまうので、勤勉だと思える基準を高く持っておくことが大事です。
悪い習慣の代表は、「怠惰」です。
怠惰がなぜいけないかというと、怠惰な人は、ときおり怠惰になるのではなく、常に怠惰だからよくないのです。
ケチな人は誰かに対してケチだということではなく、誰に対してもケチです(笑)。
それと同じで、習慣になっている怠惰は、何をやるときも、どのタイミングでも怠惰なので、よくないのですね。
よくプロ野球選手やサッカー選手が、「僕は練習が嫌いなんです。」と言うことがあります。
あれは、「練習嫌い」という表現を使わない方が良いですね。そうした言い方をすると本質を見誤ってしまいます。
「私は、怠惰なんです。」と言うべきです。
たぶん、プロスポーツの厳しい練習が好きな人は、ほとんどいないでしょう。特に反復するような練習は、誰でも嫌なはずです。
その「嫌な気持ち」に打ち勝って、自分を奮い立たせて練習できるかどうかが、努力家なのか、怠惰なのかの分かれ道です。
企業は、偏差値の高い有名大学の学生を取りたがりますよね。あれは、頭の良さも評価しているのでしょうけど、それ以上に継続して努力できる性格を評価しているのだと思います。
つまり、難関な大学に入るには、何年もの継続した努力をしてきたということになるので、それは他の仕事にも応用ができる性質だということですね。仕事においても努力することが期待できるということです。
この怠惰というのは、質(たち)が悪く、自分が怠惰という自覚がないことがほとんどだと思います。
だから、いっそのこと、「自分は、怠け者だ」と思って、自分が時間をどのように使っているかを振り返る方がいいかもです。
人間は自分を甘やかす理論を簡単に作ってしまうので、勤勉だと思える基準を高く持っておくことが大事です。
世界を変える若き企業家たちへ
同じ本を読んだり、同じ思想を学んだりしても、理解していることがまったく異なるのは、「なんでだろう?」と軽く考えることがあります。
以前は、理解力の違いだろうと思っていました。 つまり、「脳力」、「情報を処理する能力」の違いなのかなと思っていました。
でも、そうではなく、人間は「認識したいように知覚する」のでしょうね。
これを読書を例えに言葉を代えると、「自分が理解できるように変換して読んでいる」ということです。
そして、「自分が理解できるように」ということは、「自分の心が受け入れたくなるように」読んでいるということですね。
「自分の心が受け入れたくなるように」は、”心地良いこと”の場合もありますし、”自分を責める”ような場合もあります。
いい悪いは別にして、心に入ってくることのみを、人は認識しているわけです。
だから、その人の心のクセに「理解すること」は大きく影響されると思われます。
心のクセとは、”器量”と言ってもいいですし、「心の傾向性」だとか、「考え方のパターン」だとかが当てはまります。
そして、この心のクセを作っているものは、”習慣”なのです。
習慣とは、「朝6時に起きて、新聞を読んで・・・」みたいなことではなく、「身に付けてしまっている心がけ」です。
良い方では、努力、美徳、節制、勤勉、謙譲、慈愛などがあります。
悪い方では、怠惰、傲慢などですね。
このように考えていくと、どのような習慣を持つかによって、その人の理解力への影響だけではなく、人生にも大きく影響すると思われます。
自分がどのような習慣を持っているかは、なかなか自分では分からないものです。
特に気づく必要があるのは、「悪い習慣を持っている場合」です。親しい人に自分の習慣は何かを聞いてみるのが一番ですね。
悪い習慣があるなら、極力それを無くそうとした方がいいです。
以前は、理解力の違いだろうと思っていました。 つまり、「脳力」、「情報を処理する能力」の違いなのかなと思っていました。
でも、そうではなく、人間は「認識したいように知覚する」のでしょうね。
これを読書を例えに言葉を代えると、「自分が理解できるように変換して読んでいる」ということです。
そして、「自分が理解できるように」ということは、「自分の心が受け入れたくなるように」読んでいるということですね。
「自分の心が受け入れたくなるように」は、”心地良いこと”の場合もありますし、”自分を責める”ような場合もあります。
いい悪いは別にして、心に入ってくることのみを、人は認識しているわけです。
だから、その人の心のクセに「理解すること」は大きく影響されると思われます。
心のクセとは、”器量”と言ってもいいですし、「心の傾向性」だとか、「考え方のパターン」だとかが当てはまります。
そして、この心のクセを作っているものは、”習慣”なのです。
習慣とは、「朝6時に起きて、新聞を読んで・・・」みたいなことではなく、「身に付けてしまっている心がけ」です。
良い方では、努力、美徳、節制、勤勉、謙譲、慈愛などがあります。
悪い方では、怠惰、傲慢などですね。
このように考えていくと、どのような習慣を持つかによって、その人の理解力への影響だけではなく、人生にも大きく影響すると思われます。
自分がどのような習慣を持っているかは、なかなか自分では分からないものです。
特に気づく必要があるのは、「悪い習慣を持っている場合」です。親しい人に自分の習慣は何かを聞いてみるのが一番ですね。
悪い習慣があるなら、極力それを無くそうとした方がいいです。
世界を変える若き企業家たちへ
今、大河ドラマで「西郷どん」(せごどん)をやっていますね。
主人公の西郷隆盛を演じる鈴木亮平さんは、とても良い雰囲気を持った俳優さんですよね!オーラといいますか、今後の日本映画、テレビ界を背負って立つ俳優さんになるような気がしています。
ところで、「西郷どん」の舞台である薩摩で郷中教育(ごちゅうきょういく)というのがあったのをご存知でしょうか?
郷中とは、方限(ほうぎり)と呼ばれる区割りによる自治組織のことです。
郷中では、青年を稚児(ちご)と二才(にせ)に分けて、武芸や勉学に励みます。
その郷中教育の中心が「知行合一」の精神です。
そして、重視された3項目が、「うそを言うな」、「負けるな」、「弱い者をいじめるな」でした。
どうでしょうか。今の幼稚園や小学校教育でも、この3項目だけでも徹底して守るようにしたら、全然違う教育成果が上がるような気がしませんか?
二才どうしは、二才頭(にせがしら)を中心に熟議して、郷中の問題を解決していました。
だいぶ前の大河ドラマである「翔ぶが如く」では、西田敏行さんの西郷吉之助を中心に薩摩の若者がいつも話し合っていましたけど、ああいうことを普段からやっていたのでしょう。
郷中教育のようなことをやっていたら、陰湿ないじめはないでしょうし、リーダーも育っていくような気がします。
今の学校は知りませんが、少なくとも私が通っていた頃の学校では、精神的な柱を立てるような教育はありませんでした。知識だけを教わったような気がしています。
小学校や中学校では簡単な言葉で、「これだけは守りなさい」というものを教えていくべきだと思います。
例えば、「いじめをするな」、「ありがとうございますとお礼を言う」、「人のせいにするな」、「ねたむな」とかですかね。
日本の教育は失った精神性を取り戻さなければなりません。
主人公の西郷隆盛を演じる鈴木亮平さんは、とても良い雰囲気を持った俳優さんですよね!オーラといいますか、今後の日本映画、テレビ界を背負って立つ俳優さんになるような気がしています。
ところで、「西郷どん」の舞台である薩摩で郷中教育(ごちゅうきょういく)というのがあったのをご存知でしょうか?
郷中とは、方限(ほうぎり)と呼ばれる区割りによる自治組織のことです。
郷中では、青年を稚児(ちご)と二才(にせ)に分けて、武芸や勉学に励みます。
その郷中教育の中心が「知行合一」の精神です。
そして、重視された3項目が、「うそを言うな」、「負けるな」、「弱い者をいじめるな」でした。
どうでしょうか。今の幼稚園や小学校教育でも、この3項目だけでも徹底して守るようにしたら、全然違う教育成果が上がるような気がしませんか?
二才どうしは、二才頭(にせがしら)を中心に熟議して、郷中の問題を解決していました。
だいぶ前の大河ドラマである「翔ぶが如く」では、西田敏行さんの西郷吉之助を中心に薩摩の若者がいつも話し合っていましたけど、ああいうことを普段からやっていたのでしょう。
郷中教育のようなことをやっていたら、陰湿ないじめはないでしょうし、リーダーも育っていくような気がします。
今の学校は知りませんが、少なくとも私が通っていた頃の学校では、精神的な柱を立てるような教育はありませんでした。知識だけを教わったような気がしています。
小学校や中学校では簡単な言葉で、「これだけは守りなさい」というものを教えていくべきだと思います。
例えば、「いじめをするな」、「ありがとうございますとお礼を言う」、「人のせいにするな」、「ねたむな」とかですかね。
日本の教育は失った精神性を取り戻さなければなりません。
世界を変える若き企業家たちへ
前々回に、GReeeeNのことについて書きました。GReeeeNを聴いて思うのは、Jポップはレベルが高いということです。
10年くらい前ですが、ヨーロッパに出張に行ったとき、ポーランドに寄りました。会社のお客様の車に乗って移動したのですけれども、ラジオから聴いたこともない音楽ばかり流れていました。
つまり、アメリカやイギリスの音楽ではない、ポーランドのポップス系の歌手やバンドの歌だったのだと思います。
それを聴いていて、「ポーランドの人たちは、ミスチルや中島みゆきとかを知らないやろなぁ。勿体ない話やなぁ」と思ったんですね。
Jポップが世界でどれだけ評価されているのか知りません。
アメリカやイギリスのトップミュージシャンくらい世界で売れても不思議ではないバンドや歌い手が日本にたくさんいると思うんですね。
黒澤明監督や、ゴジラのような特撮とか、漫画などは世界でも人気があったり、評価されたりしているものがありますけど、Jポップはそれらと同じくらい世界で人気があって、評価されてもおかしくないと思いますね。
ただし、文化というのは国力が上がっているときに、伝搬していくものですよね。
Jポップは素晴らしいのに世界に広がっていかないのは、日本の国力に元気がない証拠でしょう。
日本人はもっと自分たちに自信を持った方がいいし、もっともっと国を発展させて、日本の文化が世界に流れていくようになるといいですよね!
軍事力やGDPではアメリカが世界ナンバーワンですけど、文化と歴史では日本がナンバーワンです。それは今でも続いています。
経済をもっと発展させて、世界の人々が日本の文化や歴史を知りたがり、学びに来るようなムーブメントを作っていきたいですね。
10年くらい前ですが、ヨーロッパに出張に行ったとき、ポーランドに寄りました。会社のお客様の車に乗って移動したのですけれども、ラジオから聴いたこともない音楽ばかり流れていました。
つまり、アメリカやイギリスの音楽ではない、ポーランドのポップス系の歌手やバンドの歌だったのだと思います。
それを聴いていて、「ポーランドの人たちは、ミスチルや中島みゆきとかを知らないやろなぁ。勿体ない話やなぁ」と思ったんですね。
Jポップが世界でどれだけ評価されているのか知りません。
アメリカやイギリスのトップミュージシャンくらい世界で売れても不思議ではないバンドや歌い手が日本にたくさんいると思うんですね。
黒澤明監督や、ゴジラのような特撮とか、漫画などは世界でも人気があったり、評価されたりしているものがありますけど、Jポップはそれらと同じくらい世界で人気があって、評価されてもおかしくないと思いますね。
ただし、文化というのは国力が上がっているときに、伝搬していくものですよね。
Jポップは素晴らしいのに世界に広がっていかないのは、日本の国力に元気がない証拠でしょう。
日本人はもっと自分たちに自信を持った方がいいし、もっともっと国を発展させて、日本の文化が世界に流れていくようになるといいですよね!
軍事力やGDPではアメリカが世界ナンバーワンですけど、文化と歴史では日本がナンバーワンです。それは今でも続いています。
経済をもっと発展させて、世界の人々が日本の文化や歴史を知りたがり、学びに来るようなムーブメントを作っていきたいですね。
世界を変える若き企業家たちへ
マネジメントとは何かの2回目です。ドラッカー教授は、マネジメントが目的とするものを三つ挙げています。
第一は、その組織に特有の使命を果たすことです。
この「特有の使命」というのが大事なキーワードです。
あなたの会社と同じサービスや製品を提供する会社がほかにも多数存在するとします。
では、なぜあなたの会社でなければならないのでしょう?
その問いに答えることが大変重要です。
その問いに答えることが社員のモチベーションを上げることにつながります。
例えば、あなたの会社が不動産販売会社だとします。
不動産販売会社はたくさんあります。
でも、なぜあなたの会社から買ってほしいのでしょうか?
他社ではなく、あなたの会社の不動産を買ってほしい理由はなんでしょうか?
あなたの会社の存在意義は何なのでしょうか?
それらの「特有の使命」を明確にすると、社員は自信をもって会社の製品や商品をお客様にお薦めすることができるのです。
白状しますが、私もこの問いにはずっと悩まされてきました(笑)。
コンサルティングを仕事にしている会社は山のようにあります。
コーチ、カウンセラー、税理士、社会保険労務士などの専門家も入れれば相当な数でしょう。
そこで、「なぜ”古賀光昭”でなければならないのか」、この問いへの答えに、ずっと悩んできました。
ところが、「仏教的経営成功法」を世に出したことで、この悩みは完全になくなったのです。
なぜなら、「仏教的経営成功法」によって私のオリジナルの中心軸が出来たからです。
「仏教的経営成功法」は、古賀光昭が編み出した完全なオリジナルなので、私からしか学ぶことはできません。
まだ誰も気づいていませんが、この方法論は万能型なので、いずれは内容を真似して、似たようなことを言うコンサルタントや専門家が出てくるでしょう。
しかし、私は物事の本質から目に見えない体系を見つけることができるので、体系を縦横無尽に応用できるのですが、他の人にはできないでしょう。
また、「仏教的経営成功法」の次の段階である「超発展型経営成功法」の構想もできているので、次々と新しいソフトを出していけます。
話が横道にそれましたが、そうした”どこにもないオリジナルなメソッド”があるために、「古賀光昭へ依頼してください」と堂々と言えるわけです。
どうか、皆様の会社も、「なぜ我社でなければならないのか」という問いへの答えを見つけてください。
それが見つかれば、企業ミッションや経営理念に繋がります。
会社の中心軸ができるので、社員のモチベーションも上がるはずです。
答えが出るまで問い続けてください。
第一は、その組織に特有の使命を果たすことです。
この「特有の使命」というのが大事なキーワードです。
あなたの会社と同じサービスや製品を提供する会社がほかにも多数存在するとします。
では、なぜあなたの会社でなければならないのでしょう?
その問いに答えることが大変重要です。
その問いに答えることが社員のモチベーションを上げることにつながります。
例えば、あなたの会社が不動産販売会社だとします。
不動産販売会社はたくさんあります。
でも、なぜあなたの会社から買ってほしいのでしょうか?
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あなたの会社の存在意義は何なのでしょうか?
それらの「特有の使命」を明確にすると、社員は自信をもって会社の製品や商品をお客様にお薦めすることができるのです。
白状しますが、私もこの問いにはずっと悩まされてきました(笑)。
コンサルティングを仕事にしている会社は山のようにあります。
コーチ、カウンセラー、税理士、社会保険労務士などの専門家も入れれば相当な数でしょう。
そこで、「なぜ”古賀光昭”でなければならないのか」、この問いへの答えに、ずっと悩んできました。
ところが、「仏教的経営成功法」を世に出したことで、この悩みは完全になくなったのです。
なぜなら、「仏教的経営成功法」によって私のオリジナルの中心軸が出来たからです。
「仏教的経営成功法」は、古賀光昭が編み出した完全なオリジナルなので、私からしか学ぶことはできません。
まだ誰も気づいていませんが、この方法論は万能型なので、いずれは内容を真似して、似たようなことを言うコンサルタントや専門家が出てくるでしょう。
しかし、私は物事の本質から目に見えない体系を見つけることができるので、体系を縦横無尽に応用できるのですが、他の人にはできないでしょう。
また、「仏教的経営成功法」の次の段階である「超発展型経営成功法」の構想もできているので、次々と新しいソフトを出していけます。
話が横道にそれましたが、そうした”どこにもないオリジナルなメソッド”があるために、「古賀光昭へ依頼してください」と堂々と言えるわけです。
どうか、皆様の会社も、「なぜ我社でなければならないのか」という問いへの答えを見つけてください。
それが見つかれば、企業ミッションや経営理念に繋がります。
会社の中心軸ができるので、社員のモチベーションも上がるはずです。
答えが出るまで問い続けてください。